(※超・長文です)
迷い鳥として警察署に届けられ、飼い主を探すもなかなか見つからず
我が家にやってきました。
成鳥にしてはフレンドリーだったのに、その頃結婚式を控えていて
かなりナーバスだわ今より余裕ないわな私のせいで、、、荒鳥に、、汗
(つうかそんな忙しいときにお迎えするなよっていう話ですよね。)
実家ではセキセイを飼っていたので、同じ感じかなと思いましたが
カゴを床に直置きしただけでストレスで羽根が抜けたのを見て
これは全然違う鳥だと再認識し、勉強した次第。
(迎える前に勉強しなさいよ)
実家のセキセイには言葉を教えたけれど、はちには特に教えませんでした。
でも食の細い子だったから「ごはんたべたの?」と何回も話しかけていたら
「ゴハタベタノ」と言うように。少しの間ですが。
仕事が忙しかった夫はゴハタベタノを聞いたことがなく、悲しんでました。。
※ゴハタベタノのあたりのはち。
※白石区
※手稲区
米沢に来たそうそう、仙台の病院に入院し、どうなってしまうのだろうと
思いましたが退院後はめきめき元気になり、米沢時代が一番体重が重く、
元気だったような気がします。
※入院時(2010年7月末)
※米沢時代
病院と言えば、札幌では宮の森の星川動物病院さんにお世話になっていました。
(あと二回ほど札幌小鳥のクリニックさん)
不安なことがあれば星川先生に電話したり、連れて行ったりして聞いてて。
私のオカメ飼いのお師匠さんのような存在でした。
3月にまた病状が悪化し、入院が長引くという時に
治らないのであれば退院させて家でゆっくりさせたほうがいいのか、
それともまだ薬があるというのでそれを信じたらいいのかと悩んでたのですが
夫が突然、「星川先生に電話して話してみたら?」と言い出し。
そんな10年も前にかかってて今は県外にいるっていう患者の話を聞いてくれる
かねえと思いつつ、とてつもなく不安だったので電話してみたらすぐ
取り次いでくれたという、、涙 まだ治る見込みがあるなら信じてみてはと。
別に入院していた病院、主治医を信じてなかったわけではないのだけど
ほんと心強かったです。ありがとうございます。
って話が脱線してしまった...
米沢に向かうフェリーで心細くさせてしまったので、一緒に新幹線で
移動できて嬉しかったし、はちも嬉しそうだった。はしゃぎすぎて
通路はさんだ隣の年配の女性にちょっとたしなめられた思い出。。笑
乗り物大好きなのです。
横浜ではもう老化が始まっていたので静かでしたね。
札幌、米沢はもう呼び鳴きが凄まじく、カゴに戻すのも一苦労だったけれど
呼び鳴きもちょっと落ち着き、カゴはなんなら自分で戻ってくるみたいな。
そしてまあまあ元気だったかな。でも横浜の今の家は窓を開けたらすぐ網戸で
しかも窓もすりガラスだから外の風景があまり見られず寂しそうだったかも。
オカメインコは環境の変化に弱いっていうのに、何度も何度も引越しして
本当に申し訳ないことをしたなあと思ってます。
はちはなんだろう、成鳥になってきてからやってきたし、
フレンドリーではあるけれど目がぱっちり開かなく、可愛い顔をするより
「えっなんですか」っていう顔や、冷静な顔ばかりだし、どこか一線引かれてるような感じだったので私にとっては番頭さんみたいな子でしたね。
うちの子っていうかうちの番頭さん。
だから最後の方は反抗もせず、私にしがみついてきて甘えるはちが
可愛いやらつらいやらだった。そこもなでていいの?そんなに弱ってるの?
みたいな。
でも退院できたのは本当にうれしかったなあ。もうこのカゴにいるはちを
見られないのかな、朝おはよって言えないのかなってずっと辛かったし。
17年弱一緒にすごしてきたから、あっこんなうるさい音出したら怒られるかもと
カゴを振り返ってみたり、早く帰らないと怒られるーと思ったり、
昼寝してても呼び鳴きで呼ばれないので永遠に寝てしまうとか、
何かが欠けてしまったような、生活にメリハリがない我が家です。
でも、何となくほっとしたような気もして。
いないのは辛いけれど、生き物を飼うと心配もついてきますしね。
そしてほっとしてる自分を何となく責めたりして。
感情がよくわからんことになってます。
ああでも、あの辛い身体から抜け出せたのはうれしいな。
餌を食べたいのにそのうに詰まっている泡が邪魔して食べられないなんて
本当に辛いことだったと思うから。今はたくさんご馳走食べているのでしょう。
食べててくれ。
そんなはちとの17年でした。
楽しかったです。ほんとうに家にきてくれてありがとうね。