散歩日和

日々のことをつらつら書き連ねる備忘録。

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葬儀

翌日からは葬儀で大忙し。

我が家で葬儀を出すのは実は初めてなので

みんなあわあわ。

お父さんを見送った義兄と姉だけがしっかりしていたという・・苦笑

祖母とは少し話しました。というか話しかけたというか。

刀が怖いと思ってごめんよばあちゃんとか

いつかまたナポリタン作ってあげるからねとか

(なぜか私のナポリタンが大好きだった祖母)

いろいろありがとうねとか。

でもなんか、刀の一件で怖いなあと思ってしまったことが

喉につかえていて、なんか自己嫌悪。。

甥っ子より祖母の死を受け止めてなかったんだなあ私・・・・

祖母はきれいにお化粧してもらえて、元気だった頃の祖母みたいでした。

身奇麗にしてる人だったのに、入院中は辛かっただろうねえと

母と話す。

葬儀場に着いたら母がバッグ(数珠とか入った)を忘れたというので

姉にめちゃくちゃ叱られる。

あんだけ忘れ物すんなって自分で言ったくせに!!と。

母はすっとこどっこいで(私に激似)、姉は激似なので

母の気持ちがわかる私、今回は母のフォローという仕事を

ずっとしてました。笑

あと母と姉の仲裁・・苦笑

ということで義兄の運転で、母と葬式バッグを取りにゆく。

そのバッグは私がずっと持っていることになる。(姉の指示で。笑)

みんななんか、ふわふわしてたんだろうなあ。

今思うと。

まあ母はいつもふわふわしてるけど・・・

お通夜の前にお弁当を食べる。

室蘭では有名な仕出し店、村木仕出し店さんの。美味しかったです。

ごはんが多いなあと思って甥っ子にあげたら

甥っ子、瞬く間に私のご飯も平らげ、いろんな人からもらってた。

私の子供時代みたいで色々末恐ろしい存在な甥っ子。

お通夜はご近所の方から祖母のお寺参り友達やら

知ってる方がたくさん。

義父母も札幌から駆けつけてくれた。

なぜだろう、義父母が来たらやたら安心した。

もうすっかり嫁なんだなあ私。

自分の家の宗派のお葬式は初めて。(まあ仏教の一つですが)

祖母とよくお寺に行っていて、なおかつお経を覚えたりしてた私、

知ってるフレーズ(って言わないよね。。)のところで大号泣。

そもそもよく知っていたお坊さんがお年を召していたことでも泣けた。

アメンボ取ろうとして池を覗いてたら

「危ないよ」って笑われた、あのお坊さんが・・みたいな。

お通夜のあとは通夜ぶるまい。

また色々食べてお腹はパンパン。(食うな)

その後は布団しいて、寝る体制にして親戚で色々話す。

父が祖母の昔の写真を持ってきたので写真を見たりして。

若い頃の父が意外とイケメンで、姉と爆笑。(ひどい)

父のイケメン写真と、私の赤ちゃん時代の記念写真(激おこ写真)は

もらってきました。

ここで往年のライバル、母と叔母の名カードが見られたりして・・笑

いいから。二人共ムキにならないで!みたいな。

お通夜って寝ちゃいけないものと思っていたら

みんなぐーすか寝てたので(お線香が蚊取り線香のように長いやつだった)

姉も私も寝る。

寝相の悪い私、布団をひっくり返してたら誰かがかけてくれて

「あ、すみません」と言ったら母だったのがおかしかった。

葬儀場に泊まったのは初めてだったんだけど

前日同じような時間にお通夜を上げていたお家の人ももちろん泊まられてて

なんか、旅行みたいだなあって思った。不謹慎。

さて朝ごはん。朝もモリモリいただきました。

(喪服パンパンでした)

ここでまた懐かしい知り合いとか親戚に会う。

さて告別式を行い、最後のお別れ・・で、もう姉も私も大号泣。

色々話せばよかったなあとか後悔ばかり。

そして斎場へ。

で、お骨になった祖母とまた葬儀場に戻ってきて、繰り上げ法要して・・・・。

来てくださった親戚を皆お見送りして、ようやく家へ。

家は落ち着く。

一足先にお弁当食べた義兄、東京に戻る。

義兄にはたいそうお世話になりました。

しかも帰りの飛行機はスカイマークにした方が安いとか教えてもらったし。

ありがたや。(ほんと安かった)

が、また葬儀社の方が来て今後のスケジュールについて説明。

私、書記。

おりくぜん?(お膳)を出さねばならないのだが

お膳が見当たらなくて姉と捜索。

そんなのあったっけーという母に対して

「あったよー、おままごとにちょうどいいなっていつも思ってたんだもん!」(私)

「あ、ねえちゃんもそれ思ってた!」(姉)

そんな理由で覚えてたというね。笑

無事見つかり、じゃあ明日から使いましょうと洗い、頂いたお弁当で

ご飯を食べてその日は21時就寝。

ひさーびさにゆっくり寝ました。